峯月流について
『峯月流』の由来は「わけ登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」(修行の道は異なっていても、同じひとつの目的にむかって弛まず歩もう)という一休禅師の歌から名付けられました。
昭和初期(1920年代)華道、茶道、盆石等も教えていた初代家元稲本雅風は「日本華道研究所」を主宰。弟子の指導にあたると共に、広く全国の華道家との交流を深め、その後「峯月流」を創流、昭和21(1946)年2月11日に流名披露の花展を当時の拳母公会堂で盛大に開催しました。
昭和41年(1966)年2月、雅風の娘・稲本月仙が二代目家元を継承し、昭和4(1972)年には峯月流峯月会、峯月流教授会を発足。初代の定めた峯月流基本型を確立し、現代に合わせた花型を多数考案・発表。日本いけばな芸術協会・評議員のちに参与、中日いけばな協会・常任理事、オール愛知華道連盟・理事長、豊田市華道連盟・相談役などを歴任。
平成26(2014)年11月日本いけばな芸術協会選考により常陸宮邸にて華子妃殿下より直々にいけばな褒賞杯に拝領致しました。
平成17(2005)年2月、月仙の三女・稲本峯月が三代目家元を継承。峯月流峯月会理事長、創流50周年記念行事の実行委員長や、二代目家元が「豊田市文化功労賞」を受賞した折の華個展・祝賀会開催の発起人などを務めました。
副家元時代に現代的生活に合わせた創作花「峯月創華」の花型考案や試験制度の導入、アレンジメント部門の峯月創華・花Salonの運営・主宰などレッスン体制の変革にも取り組んでいます。さらに流展では単なる展示だけでなく、静と動を兼ね備えたいけばな作品の見せ方を早期に確立し、独自に研究したいけばなデモンストレーションやいけばなパフォーマンスを毎年展開。体験教室の開催など伝統文化を身近に伝えることや海外での交流にも力を入れて活動しています。
流紋は初代家元が、桂離宮の襖にはめこまれた月形の引き手をヒントに、月の中に「峯」の文字を入れ「峯月」を表現したと言われています。
峯月流は投入れを得意とし、小品から大作まで「枝ぶり」や「花の相(すがた)」を大切にしたいけばなを心掛けています。また伝承花である八つの格花も受け継ぐ流派です。
日本の伝統文化継承に携わる者として、「くらしに花をうるおいを」をモットーに花の美しさ、それを形にするいけばなの可能性を多くの方に知っていただきたく、日々精進しています。